エッセイノヨウナモノ

【管理番号001 1994/07/24:ポプラマンの憂鬱】


 俺は、ポプラというコンビニエンスストアーで働いていた。いわば、ポプラマンという
やつだ。でも、同じポプラの中で自らのことをポプラマンと自称する奴はいない。なぜ俺
だけがその名前を使うのかって?Because,・・・あっごめんごめん、なにせAm
ericanなLifeを送ってるからEnglishが抜けないんだ。ときどきEng
lishが混ざるかもしれないけど、許してくれよな。どこまで話したかな・・そうそう
、なぜ俺だけポプラマンといっていたかってとこだな。なぜなら、俺には自信があったか
らさ。自分がポプラを動かしてるって自信がね。今日はそんな俺の体験談を話そうと思う
んだ。

 ある夜、おれはポプラでアルバイトをしていたんだ。店長は相変わらず寝ている。困っ
たもんだ。一万円札を数枚抱いてだぜ。しかも、周りに散らばってるじゃないか。まるで
、紀ノ国屋文左衛門のようだぜ。確かに客はあんまり来ないが、起きてろよな。こっちが
腹立つしさ。ゲッ!このおやじ精算終わらせてねえじゃねえか。もう三時だぜ。どうする
んだよ。しょうがねえ、やっといてやるか。おっ!客が来た。「いらっしゃいませぇー。
」この辺の切り返しの早いところがキャリアを積んだポプラマンってかんじだよな。おっ
、外人さんじゃないか。なんか、怪しげな歌を歌いながら踊ってるぞ。さすが本家本元は
違うぜ。あっ!目があっちまった。ちょっとはずかしがってる。恥ずかしがり方一つとっ
てもJapaneseとは違うよな。なにか呼んでるみたいだぞ。ちょっと行ってみよう。

 俺 「はい、なんでしょう。」
 外人 「コレ、ツクリカタ、ナニ?」

どうやら作り方が解らないらしい。フルーチェか、簡単、簡単。

 俺 「ミルク アンド フルーチェ ミックス ミックス。」
 外人 「オー!ミルク!オー!」
 俺 「イエース!イエース!」

ふっ。どうやら解ったらしい。俺がちょっと力を出しゃあこんなもんさ。あれ?また呼んでるぞ。

 俺 「はい、なんでしょう。」
 外人 「コレ、デキル、ナンジ?」
 俺 「は?」
 外人 「ナンジ、デキル、*****(意味不明)。」
 俺 「は?」

何言ってるんだ?わきゃわからないぞ。しかも、こりゃ英語じゃないな。おっ!なにか紙
を出した。どうやらこれは中東の方の言葉らしい。

 中東人「コレ!コレ!」
 俺 「はい。」

その紙には {****(意味不明)・・・・When・・・・いつ}と書いてある。
なるほど!いつデキルかと聞いているらしい。そんなもの、フルーチェの裏見りゃかいて
あるんじゃないのか?どれどれ・・・

 フルーチェの裏:「全体的にとろりとしてきたら出来上がりです。」

とろり?そんな言葉俺のボキャブラリーには存在しないな。まあいいや。

 俺 「グローバル、トロリ、トロリ、エイブル!」
 中東人「ハ?トロリ?」

どうやら解らないらしい。そりゃあそうだ。俺が外人でもわからねえだろう。

 俺 「Do you know トロリ?」
 中東人「No!」
 俺 「トロリ イズ ネバネバ。」
 中東人「ハ?ネバネバ?」
 俺 「ネバネバ イズ トローン!」

・・・もはや怪しい以外の何者でもない。そんなもん解るか!と外人も言いたいだろう。
しょうがねぇ、適当に教えとくか。

 俺 「アバウト スリー アワーズ。」
 中東人「!? スリー アワーズ?」
 俺 「イエース!イエース!」
 中東人「・・・サンキュー・・・コレクダサイ。」
 俺 「サンキュー、154円です。」
 中東人「ハ?」

ちっ!154円も解からねえのか。もしかしたらこいつ宇宙人じゃねえのか?

 俺 「ワン ハンドレッド フィフティー フォー イエン!」
 宇宙人「オー!」
 俺 「サンキュー!」
 宇宙人「サンキュー!****(意味不明)!」

やっとかえったぜ。しかしあれだけねばってフルーチェ1個かよ。しけてやがんな。

 なんてところで、この一件は終わったんだが、よくよく考えてみると、俺はあのとき、
「スリー アワーズ」つまり「3時間」と言ったような気がする。ということは、あの宇
宙人はフルーチェを延々3時間もかき混ぜてたんだろうか。そして、あの宇宙人はフルー
チェを食う事ができたんだろうか。そんなことを考えてたら、気の毒になってきた。まあ
いいや。今日は、俺の戯言に付き合ってくれて、ありがとうよ。心から礼を言うぜ。また
聞いてくれよ。じゃあまたな。

【管理番号002 1994/08/25 :もう恋なんてしない】


 君がいないとなんにもできないわけじゃないと・・・と、つい歌ってしまいそうなタイトルをつけてしまったが、これからここに書くことの内容を考えたとき一番最初に浮かんだ言葉がこれだったので槙原敬之さんには悪いと思いつつも、勝手に引用させていただいた。
 ところで、「今回はどんなバカな話をかくんだい?」という読者の声が聞こえてくるので話しておこう。
今回のテ−マは、タイトルからもわかるように「失恋」である。といってもいつもどうり僕の経験談なのであるが・・・。
「これ以上恥をさらすな。」と心の中では思いつつも、ペンはすらすらと文を書いていく。自称「作家のはしくれ」としての
悲しい嵯峨である。
 しかし、僕は失恋をそう数多く体験していない。いや、失恋の定義さえもよくわからない。いったい、どこからどこまでが失恋なのだろう?好きな人に告白してふられる。これは立派な失恋と解る。しかし、片思いをしたまま、時の流れが引き裂いた場合や、片思いの相手が他の人を好きになってしまった時などもやはり失恋なのだろうか。
 その真偽を確かめるべく、今手元にある広辞苑とやらで調べてみることにしよう。広辞苑といえば、日本全国津々浦々、北は北海道から南は九州沖縄まで、知らぬ物なしと巷で評判の辞典の代名詞である。こいつを信じてみることにしよう。どれどれ・・・あ・・か・・さ・・し・・しつ・・失・・失恋!おっ、あったあった。なになに・・・?

 しつ−れん[失恋] 恋愛とげられぬこと。恋に破れること。

・・・・。えっ?てことはなにかい?恋に破れたら失恋ということになるのかい?ということは、僕はいままで何回失恋してきたのだろう。突然書くのが恥ずかしくなってきた。まあよい、もう僕に隠すことはなにもない。いさぎよく、馬鹿にしていただこう。

小さな勇気がきみの中には眠っている
目をさましたら出かけよう彼女の元へ
告白を恐がってちゃダメさ
実らない恋があることは結局みんな知ることだから
いつまでも子供じゃいられない
明日は一歩 オトナへの道を踏み出す日
彼女と君との ステキな恋路にむかって
第一歩を踏み出す日なのだから

この詩は僕が中学校のとき、ある女の子に告白しようとする前日に書いた詩である。
よくもまあこんな恥ずかしい詩を書けた物だと、我ながら尊敬する。しかし、この詩には、ひとつ重大な概念が抜けているのだ。それは、相手の彼女の気持ちである。そう、勇気を持って告白しても、振られてしまうと、せっかくのオトナへの第一歩とやらも、ステキな恋路に向かっての第一歩とやらも全てがぶち壊しになってしまうのだ。そのことに気づかないのがこの男の愚かさである。
(ここにでてくる君(ひろのしん)はステキな恋路への第一歩で早くもこけることになろうとはノストラダムスでなくとも容易に予言できる。)
しかし、この詩がこうして再び人目にふれる事になろうとは夢にも思わなかった。
この詩を書いた頃には、「ふん、こんな詩なんて大嘘じゃないか。告白なんて二度とするもんか。この役たたず。」などと暴言を浴びせかけられたうえ、机の奥底にくしゃくしゃにされ、いつしか僕の記憶からさえも消えていった。この詩はまったく悪くないのに、机の奥底で何の文句も言わずいたのかと思うと胸が痛い。
しかし、この詩も著者に逆襲するチャンスに恵まれた。それは、聞くも涙、語るも涙の物語である。
あれは、忘れもしない夏休みあけの大掃除の日である。僕は自分の机をいかにも気怠そうに下げていた。
そんなとき、大事件が起こった。足下にあった雑巾に引っかかり、机が大音響をたてて倒れたのだ。 当然机の中のものはばらまかれ、辺り一面にごみが広がった。それだけなら別に問題はなかったのだが、机の中で 虎視眈々と逆襲のチャンスをうかがっていたあの紙まで飛んでいったのだ。しかし、僕は気づかなかった。そう、あの女が拾うまでは・・・。
「郷田君なにか落ちたよ・・・なにこれー。」
もうおしまいである。
あの女はクラスはおろか学校中で噂されるほどのおしゃべり女だったのだ。あまりの恥ずかしさに僕は白を切り通し、地獄は終わったかに思えた。

しかし、真の地獄は翌日であった。翌日僕が学校に行ってみると、廊下で会う人会う人陰口をたたかれ、クスクスと笑われ、挙げ句の果てには、職員室に呼び出され、「おまえは、こんなものを書いている暇があったら、ちいとは勉強しろ。」とまで言われる始末。どうやら、あの詩にはご丁寧に著者名がしるされていたらしい。
「自分しか見ないのにいたらんことをするな。」と自分に腹が立ったのだが、いまさら後の祭りである。

その日はそれだけで終わったのだが、それから、幾日かたったある日、学校で「図書だより」という図書館で発行される広報がくばられた。それを見て僕は愕然とした。なんと、あの詩が載っているのだ。しかも名前入りで・・・。
これでこの詩は、学校内だけにとどまらず、生徒の家族にまで知れ渡ることになったのだ。僕は恥ずかしさで頭がいっぱいになった。仮にこのとき神様が「ちょっと早いけど今から地球を壊すよ。」と言ったとしても、喜んで「どうぞどうぞ壊してくださいまし。」と言ったであろう。それほどまでに恥ずかしかったのだ。

その日以来、僕は「吟遊詩人」と言う職をいただくことになったのだが、結構この職を気に入ってたりするので、自分事ながらたちが悪い。そしてこのことは、今でも同窓会の笑い草として語り継がれている

 と、いつしか詩の話になってしまったが、ここらで失恋の話に戻すことにしよう。今の話は、中学時代の失恋の話(?)であったが、今度は僕が初めて失恋したときの話をしようと思う。初めての失恋であるからそれは当然「初恋」なのだ。
あれは保育園の頃だったか、ある女の子に「好きだ。」と告白したのだ。なんと勇気があるのだろう。今の自分からは想像できないほどのマセガキである。
しかし、その女の子曰く、「デブは嫌い」なのだそうだ。子供心にかなりショックを受けたのを覚えている。よく漫画で頭の上に100t位の分銅が落ちてきてガーンと言ったような気持ちなのだ。そのことを根に持った幼年期広之進は、死ぬ気でダイエットしをて、当時36kgあった体重を25kgまで落とし、もう一度その彼女に告白した。「やせたよ。好きになってくれた?」・・・なんて奴だろう。彼女の気持ちなど微塵も考えちゃいない自分本位な奴だったのだ。彼女が言うことには、「あんたが嫌いなんだからやせたってダメよ。」なのだそうだ。よくもまぁここまで見事に嫌われた物である。
それ以来二度と彼女に告白することはなかった。(終)

と思ったら大間違い。この話には続きがあるのだ。幼年期広之進は少年期広之進になり、なぜかもてるようになった。背も高く頭の良いスポーツマンだったからと言うのは本人の弁であるが、実際そうであったかどうか実証してくれる人はいない。まあよい、過去のことにはこだわるまい。
中学生になって、数々の女の子(と言っても4人であるが・・・)から告白される身分になった彼は少々いい気になっていた。そんなとき、幼稚園の時ふられた女の子が告白してきたのだ。しかし、そのとき少年期広之進には好きな人がいたのである。そして彼が言った言葉がこれである。「ごめん、今好きな人がいるんだ。」なんてスタンダードな返事であろうか。
しかし、この手の返事は女性もよく使う。「ごめんなさい好きな人がいるの。」この言葉は、好きな人がいてもいなくても使えるという、まさにふる言葉の帝王といえよう。この言葉を聞くと、頭をガツンとやられたような衝撃を受けることになるのだ。
さて、頭をガツンとやられた彼女はと言うと、目に大量の涙を浮かべて、「あんた幼稚園の時なんて言ったのよ!バカ!」などと暴言を吐き、夕暮れの街へと駆け出していった。幼稚園の頃「あんたが嫌い」とまで公言され、正直に好きな人がいると言えば、「バカ」である。僕としてはまったくわけがわからない。
それに、幼稚園の時に言ったことなどもうとっくに時効である。僕も成長し、彼女も成長したのだ。文字どおりすべては変わっているのである。しかし、一度でもこんな女に惚れていたかと思うと我ながらあきれるばかりだ。やはり、女の子は見た目ではないという事をこのとき痛切に感じた。
 と言うのが、初恋、初失恋の全容である。この女の子は今、とびきりの美人になっていると言う噂を風の便りに聞いたが、どうなのであろうか。やはりこう言うことは自分の胸の中に封じ込めておくのが良いだろうと思う。
 この話以外にもいろいろと恋愛談義や、失恋話はあるのだが、それはまた次の機会に話すとして、どうだろうか。このエッセイを通して僕の言いたかったことが解っていただけたであろうか。えっ?解らない?そうであろう。こんな話では解らないであろう。それはもっともな意見である。ではお教えしましょう。このエッセイを通して僕が言いたかったのは、

  「恋とは素晴らしい物であるが、場合によっては愚かになる。」

と言うことである。このときの「場合」と言うのが、作者広之進であることはみなさんのご察しの通りだ。だが、僕にとって恋とはやっぱり素晴らしいものであり、生きる糧にもなりうるほど大切な物であるので何度素晴らしい恋が愚かな恋になっても、自分にぴったりの人が隣にいてくれる日が来るまで僕は恋をすることをやめないだろう。だから結びは「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」となるのである。

【管理番号003 1995/12/16 20:46:22:スカートめくりと私】


 スカートめくり・・・。なんと言う素晴らしい響きであろうか。なんとも懐かしいような、それでいて甘酸っぱいような。スカートめくりは男の永遠の憧れ、いや、ロマンであると私は思う次第である。そんな私の経験談をここに記したいと思うので、今からスカートめくりを敢行してやろうと思っている私の同士は参考にしていただきたいと思う。
 私は、小学校の時分に女生徒から「スカートめくり野郎」と恐れられるほどのスカートめくり職人の内の一人であった。前に女の子が歩いていればスカートをめくり、横に女の先生がいれば尻を触って歩くという、セクハラおやじのようなことをしていた。しかし女の子も、「ただでパンツを見せてたまるか。」と思ったかどうかは知らないが、スカートの下にブルマーをはくという防衛策を打って出たのだ。それには、私ら「スカートめくり愛好会」の同士は大打撃を受けた。当然である。こっちは、ただキティちゃんや、キキとララのプリントの付いたパンツ・・・結構グンゼの、前にリボンの付いたノーマルタイプも捨てがたいが・・・いや、そんなことはどうでもよい。とにかくこちらは半ば命を懸けてスカートをめくろうと正々堂々と頑張っているのだ。そんな中で、ブルマーははっきり言って卑怯である。そういった同士を募り、急遽「ブルマー普及対策委員会」が開かれる運びとなった。しかし、議会は難航していた。一部では、

 「無理矢理、ブルマーを脱がすのが最善の策である。ついでにパンツも脱がしてしまって・・・ウヒ。」

と言う意見もあったのだが、この案は、反対議員多数のため却下となってしまった。なぜなら、私々はただ単にパンツが見たい訳ではない。”スカートをめくる”という行為に魅力を感じているのだ。その行為には、スリル、躍動感、達成感という人間が最もおもしろいと感じる三大要素が含まれていると私は思えて止まない。パンツが見えるというのは所詮飾りでしかないのだ。ましてや、そのパンツの下に何が隠れていようと、私々には関係ないのだ。あのめくったときに見えるパンツの白と制服の黒との絶妙のコントラストが、何とも言えない達成感の調味料となるのだ。・・・と私は思う。話を元に戻そう。
 それから、約10分間ケンケンガクガクと話し合いは続いたのだが、ある少年の「サッカーをしよう。」の一言で、会議は幕を閉じることとなった。結局、何も解決しないまま会議は終わってしまったのだ。今思うと、あのまま会議を続けていたらどういう結論が導き出されたのであろうか。それは、少年の心の中にだけに住む好奇心という妖精以外は誰も知らないであろうナゾである。
 それから、私ら「スカートめくり愛好会」は、

 「これからは、個々でスカートめくりを楽しんでください」

という議長のF君の言葉を最後に解散し、スカートめくり人口も大幅に減少してしまった。しかし、中には私のように虎視眈々とスカートめくりをねらっている「暗黒のスカートめくり十字軍」略して、「黒めくり軍」(このネーミングは明らかに、「秘密戦隊ゴレンジャー」の「黒十字軍」を意識している。)と呼ばれる人間もいた。しかし、ある時私がとんでもないミスをしてしまった。私々の間では要注意とされていた、「泣き虫ちゃん」こと、Oさんに手を出してしまったのである。なんと、Oさんは珍しくブルマーを履いておらず、生パンのままだったのだ。当然、彼女は恥ずかしさにか泣き出してしまい、先生に事の次第を告げ口したのだ。私は職員室に呼び出され、こっぴどく説教をされた。その先生の言った言葉の中に、

 「もしあなたが着替え中にでも女の子に覗かれたらどうする?いやでしょ。だったらもうそんなことをするのはやめなさい。」

と言うのがあった。それを聞いた私は、

 「自分が恥ずかしくなければやってもいいのだ。」

と自分勝手に解釈し、ずっとスカートめくりを続けていた。あの頃の私は、別にパンツを見られたからと言って恥ずかしがるようなタマではなかったし、たとえ着替え中にブツを見られたとしても、逆に追いかけていくような事くらいはしていたであろう。なんという厚顔無恥な危ない野郎だったのであろうか。さすがに今はそんなことはしないが・・・。

 そして小学校を卒業すると同時に「黒めくり軍」も卒業してしまった。それ以来、スカートめくりはしていないが、いまでもチェックのスカートや制服のスカートを見ると心のどこかで「めくりやすそうだな」と考えてしまう。もし私がそんなスカートをずっと見つめていたらGOサインなので、発見したら止めていただきたい。この年になって、スカートめくりで捕まりたくないから。新聞の三面に「20歳の専門学生、スカートめくりで逮捕!!」なんて書かれた日にゃ、親泣くで。


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