エスイーの日常


2月 1日 (日)

早いもので今日から2月である。あと12回・・・いやなんでもない。
今日は、近隣の町で牡蠣祭りが行われた為、牡蠣も食えないくせに祭りに出かけコロッケを食って帰るという暴挙を行った。
別に祭りだからいいじゃないか。無礼講だよ。ダメか。

2月 2日 (月)

近鉄バッファローズをご存知か。
大阪ドームに本拠地を構える、パシフィックリーグの球団である。前シーズンまでは、ローズがいたが巨人に取られ、中村(紀)が取ってもらおう行ったが帰ってきたあの球団である。
この近鉄バッファローズの「近鉄」の部分を売却する意向を球団が発表したとの事。
つまり、契約が成立すれば、来シーズンからは別の呼び名になるということだ。例えば、 がまかつバッファローズとか、たこ八バッファローズとか、場合によってはかに道楽バッファローズとかになってしまうわけだ。何も知らない人が聞いたらかに道楽集団以外なにものにも映らないであろう。
5年契約で年間36億(優勝時は+α、4位以下の場合は−10億円)だそうなので、バブリーな方は命名権を買ってみたらいかがか。
「かに道楽バッファローズ」誕生の暁には私は間違いなくファンになる。間違いない。

2月 3日 (火)

今日は節分。鬼を追い払う日である。 ココの閲覧者の中でも、頻繁に「物が壊れた」とか「物がやぶれた」とか、「物がめげた」等と言われている方がいるが、該当者は今日がいい機会なので鬼を追い払う事をお勧めする。
ところで節分とは全く無関係なのだが、昔国語の教科書などで色々な作品を読まされたのだが、あれから20年近く経った今でもふっと頭をよぎる1文と言うのがある。それは本当に学生時代に習ったのか、はたまた図書館で読んだのか、もしかしたら読んでない可能性すらある。そんな状態であるから、作者やタイトルもはっきりしないものが多い。
最後に今日頭にふっと浮かんできた一文をご紹介して締めとしたい。その一文とは・・・
クラムボンは死んでしまったよ

2月 4日 (水)

コンビニに行くと、おかしな100円ライターを売っていた。 そのライターには、「元自衛隊」と言う文字が印刷されている。 今回のイラク派遣を睨んでか否かは定かではないが、そのライターは1箱の3分の2は売れていた。はっきり申し上げて売る方も売る方なら買う方も買う方だ。モラルが低すぎる以外の何者でもない。 そのライターを買った人全てがそうでないとは言え、ウケ狙いで買っているのだろう。又メーカーはそれを見越して作ったのであろう。その背後には「自分は行かないから安全」と言う考えが見て取れる。自衛隊員の方々は、家族や自らの保障がはっきりしないまま現地に赴いた。命がけで。このライターは明らかにその隊員の意志を冒涜するものではないか。
最近の日本では、「売れれば正義」のような風潮が横行し、また、庶民は携帯電話にしろ、喫煙にしろモラルは2の次になりつつある状況だ。モラルの低下は民度の低下を生む。日本が世界に誇る経済大国であったのは既に過去の話になりつつある今、金もモラルも無い民族の行く末には何が待ち構えているのかもう一度考えてみてほしい。
せめて、このマイナーサイトを見ている読者諸氏だけでも。

2月 5日 (木)

最近なんだかんだで拍子抜けする事が多い。
拍子抜けさせられるとどうも自分の中の歯車がずれたような感じになり、やる事なすことに対してのモチベーション低下を余儀なくされてしまう。それは、実生活においてできるだけ遭遇したくないことである。
「そんなはずはない。それは幻想だ。やる気が無いのはおまえがだらけているからだ」と仰る方には 私からプレゼントを差し上げる。下のボタンを押してみてほしい。

★今日の運勢★


どうですか?拍子抜けした気分は?ププッ!

2月 6日 (金)

最近なんだかんだで腹が立つ事が多い。
腹が立つとどうも自分の中で修羅が暴れ狂い、やる事なすことに対してのモチベーション低下を余儀なくされてしまう。それは、実生活においてできるだけ遭遇したくないことである。
「そんなはずはない。それは幻想だ。腹が立つのはおまえの堪え性がないからだ」と仰る方には 私からプレゼントを差し上げる。下のボタンを押してみてほしい。

★気になるあの人との相性★


どう?はらたつやろ〜?

2月 7日 (土)

最近なんだかんだで・・・・あまりやると叱られるのでやめておこう。
結局近鉄バッファローズの売名騒動は「売らない」方向で決着したようで、夢の「かに道楽バッファローズ」も立ち消えになった。残念至極である。

2月 8日 (日)

新車でプジョーを購入して早2年になるが、既に2回目となるリコールの対応をしてもらう為、PEUGEOT広島に出向いた。しかし、対応には3時間弱かかるとサラリといわれ、その割には代車はありませんとの事。ちなみにご存知ない方が多いと思うので、言っておくと、PEUGEOT広島は都心からかなり離れた所にあり、周りには時間を潰すような施設はない。車屋ばかりである。そんな所に放置されどうしろというのかいまいち理解に苦しむがしょうがない。バスに乗って都心に向かう事にした。
私でなければ、キレて大暴れされている所である。PEUGEOTさん命拾いしたね。

2月 9日 (月)

今日は2月9日。肉の日である。
肉といえば、最近肉の消費(というか供給)が滞り、とんでもない影響を及ぼし始めている。
吉野家も虫の息の昨今、他の業者も次々と牛丼(牛めし他)の供給を辞め始めているのだが、いまいち腑に落ちないのは同じ牛肉を使用しているはずのファーストフード店。主にハンバーガー。こちらには全く影響は無いのだろうか。はじめからオージービーフを使用していたというのなら話はわかるが、どうもそういう話を聞いた事が無い。
詳細を調べてまた報告する事にする。
私は別に気にしないので、牛も豚も鳥も食べるのだけど。

2月10日 (火)

気がつくと他のサイト上も街中もバレンタインの文字が躍り狂っている。三越など行こうものならエスカレーター降り口の各階にチョコレート売り場が設けられておりその力の入れようたるや尋常ではない。私はそれを見て「あほか」と呟かずにはいられなかったほどだ。
最近の私はと言えば、バレンタインでは、ママから以外もらえる当てはまったくない。もっぱら、バレンタインといえば「監督」の認識しかなくなってきている。これもまたオヤジ化が進んでいる証であり、もう少し意識した方がいいのだろうかとも思ってみたりしたところで、もう遅い。

2月11日 (水)

ついに暴動が起きた。 吉野家のとある店舗で、牛丼が売り切れた事に腹を立てて暴れた上に隣の客を殴ったとか。
詳しくは
こちらで。
しかし、この男性客の言い分は何かがおかしい。「牛丼がなくなる事を知らなかった」と言っているようだが、私的に見れば、マスコミは明らかに過剰報道気味であり、ネット上でもかなりのサイトの話題に上っていた。新聞でもかなりの大きさで扱われていた。当然その旨の告知は店舗内に張り出されていたはずなのに知らなかったという。彼にはこう問いたい。「ニュース見ないんですか。」

2月12日 (木)

明日会社に行ったら又休み。こんなに休んでいいのだろうか。
会社的にはいいのだろうが、スケジュール的にはいいのだろうか?
よくない。い〜やよくない。だから休みじゃないのかも。

2月13日 (金)

気が付けば槇原敬之氏がセイン・カミユ率いるThe Studentsに曲を提供している様子。
タイトルは「ハトマメ」。聞いてみると槇原らしさがちりばめられていい感じに仕上がっている。セイン・カミユの歌唱力に若干問題はあるようだが、天性の透明感ある声で意外と曲にマッチしていて聞いている分には全く問題ない。槇原ファンを名乗る皆様。この曲は買いですよ。私はレンタルで済ます予定ですが。

2月14日 (土)

受験も選挙も結婚も形にしたあと誓いを捨ててしまう人もたくさんいるから
せめてこの僕と君があの日誓い合った気持ち間違いだとしても終わるまで愛と信じよう
「バカみたい」言われなくても自分で分かってるよ
飽きるほど鏡を見てるのははねた髪の毛とはねた気持ちを何とかしたいから
青春は針飛びをしたレコードみたいに何回も同じキスを繰り返して
その中で世界で一番すてきなやつを見つけられると信じている僕ら

槇原敬之の青春(Cicada 6曲目収録)という歌である。ちなみにこれは2番。初めて聴いたのは発売日だったので、4年くらい前だったろう。その時からずっとなにか引っかかる曲であった。感銘を受けるわけでも否定的なわけでもないがなにか引っかかる。それがこの曲のファーストインプレッションであった。
今でも突如として頭にフレーズが蘇ることがある。現にこうやって歌詞カードを見る事なく全ての歌詞を書き出すことができる位頭に残っているのだ。しかし年齢や経験をを重ねる毎にだんだん真の意味が分かって来る槇原らしい曲である。もしこの曲になにか感じるものがある方は是非一度聴いてみてほしい。私と同じ状況に陥る可能性は高いのだが。
なぜ今日この曲を日記に載せたか。それはあなたが考えていただきたい。

2月15日 (日)

私が生きてきた中で、感銘を受ける詩人が5人いる。
ざっと羅列すると、槇原敬之、村下孝三、森雪之丞、さだまさし、そして、大津あきら。
今日の朝日本テレビで放映されている「いつみても波乱万丈」という日本語的に明らかにおかしいタイトルの番組に大津あきら婦人である根岸季衣が出演していた。
何となしに見ていたところ、大津あきらが1997年にガンで亡くなっていた事を知る。軽い衝撃を受け、「ああ、これで存命者は3人だけか・・」と言う寂しさを感じながら、今度は食い入るように画面を見つめていた。その後番組上で、実は故郷が山口県長門市であることを知り、しかも母親の親元にかなり近い場所に住んでいたことも知らされる事になる。それを知ったときの衝撃は筆舌し難い。もしかしたらすれ違っていたかもしれない現実を感じ、「押しかけておくべきだったのかも」という軽い後悔すら浮かんでくる。
今度あちら方面に行く機会があったら必ず石碑を拝み、なんとしても根岸季衣さんを捕まえ、ご挨拶したいものだという、傍迷惑な目標を打ち立てる日曜日の朝であった。

2月16日 (月)

(AP通信 15日)アメリカ生まれの人気ドールバービー(17)とその恋人ケン(18?)が破局したとのうわさが巷を賑わせている。バービーといえば、香山リカ、ジェニーと並ぶ人形界の3大巨頭として名をはせており、色気漂う外見から対象年齢3歳以上でありながら18歳以下お断りな雰囲気を漂わすファン層を日本で築き上げ、着物や宝塚の衣装を纏うなど精力的に活動していた。また、今年1月には、カリブ風の水着姿を披露するなどセクシー路線にも足を踏み入れたさなかの破局騒動に日本の関係者は大きく肩を落としている。
事情に詳しい米おもちゃ大手のマテル副社長ラッセル・アロンズ氏によると、「2人は距離を置いてみる時が来たと話している」と破局の事実を認めた上で「ケンが結婚を渋ったためでは」と理由を説明した。
日本の活動拠点であった、バンダイが運営する公式ホームページ
バービーファンクラブも昨年12月27日に閉鎖するなどバービーにとっては逆風が強かっただけに、この破局騒動は各界に大きな影響を与えそうだ。

新聞風に書いてみました。もう日記でもなんでもありませんが、書いてある事は事実です(?)

2月17日 (火)

Yahoo!オークションを4年ぶりに再開するために、Yahoo!で登録を行っていたのだが、 いつのまにやら、Yahooオークションそのものが有料化になり、銀行口座の指定を義務付けている(Yahoo!オークションの使用料引き落としの為だが)。たしかに前私がやっていた頃には詐欺が横行し、初心者には危険すぎる場所であっただけに必要な措置であることは確かなのだが、便乗感も否めない。
しかし、Yahoo!オークションで諸手続きを行った利点と言うのもある。それが イーバンク銀行への口座作成である。 この銀行は、普通の都銀・地銀などとは異なり、店舗というものが存在しない。従って金利がかなり良い。また、送金などの手数料がかからない為、ネット界ではかなり重宝するのだ。当然振込みや残高確認なども店舗へ出向く事無くパソコンで行える。また、実際の口座は都市銀行内部のバーチャル口座であるため、イーバンク未対応の銀行からは、直接その都市銀行に入金すれば、自分の口座への振込みが可能なのだ。
ネットを生活に溶け込ませようとするとどうしても金の動きは必要になってくる。しかしカード番号を知られるのは不安と言う方にはもってこいの銀行である。入れていなければ取られる事はないのだから。もしネットでお金を受け取ったり、支払ったりする事のある方は作ってみてはいかがか。損する事はないと思う。
私はジャパンネットバンク口座ともども持っているのだが、残高はまだ数百円足らずであることも付け加えておかねばなるまい。
最後に一つ重要なお知らせがある。私はこの銀行の回し者ではない。

2月18日 (水)

この日記を書きつづけて、1年と少しが経過した。
昨日思う所あって全文読み直してみたのだが、あまり日記らしくない。
やはり日記と言うものは、酸いも甘いも全て書ききるべきではないのか。公開されている事を前提に書いている日記なので、書きたくても書けない内容の物は今まで多数存在してきた。それはそれで自分の頭の中には書き留められているのだが、大抵の事は揮発性RAMディスク同等の性能を誇る自分の能では、あっという間に忘却の彼方に飛んでいく。
しかし、全く消えない記憶と言う物もある。そう言ったものが、私の中のもう一つの日記だ。
そこには、怒り、悔しさ、切なさ、愛情、悲しみなど感情を外に出す事が苦手な私が、あえて内に書き記したさまざまな事が書いてある。それに何が書いてあるのかは、ママも知らない。坊も知らない。誰も知らない。それを共有できる人は後にも先にも誰もいない。家族とて踏み込めない部分が私には存在する。忘れないうちにちょっと疑問点だけ書いておこう。そのうちゆっくり考えるから。

家族とはそう言ったものも全て共有できる物なのだろうか?
俺なんかで家族は幸せなのだろうか?
不平不満は何かの肥やしになる事があるのか?
家族をそこに踏み込ませない事で崩壊したりするようものなのか?
自分の力量を過伸しているんじゃないか?
上を見ないと上に上がれないと言う考えその物が間違いなのか?
俺は大勢の中にいる一人。大勢の中に頼れる人はだれもいない?
家族に頼ることが今の自分に許されるのか?
そもそも頼れる人が誰もいないと言う事が間違いなのか?
人に好意を抱く事が出来なくなる立場があるのか?
誰も見てない。でも皆見てる。皆ズルくないか?
自分との葛藤なのか人との葛藤なのかわかりゃしない。
信用と信頼は似ているようで微妙に違うけど君にとって俺はどっちだ?
頭がおかしくなりそうだね。もう考えるのやめよう。やめたら終わるんじゃないのか?

最近そんな事ばかり考えている。本当に頭がおかしくなりそうである。 ということなので、私がボーッとしている時にはその日記のページをめくっている可能性が高い為、突拍子もない事をしでかす前に起こしてください。
総勢20行を超える壮大な愚痴を吐いてちょっとすっきりした。これで心置きなく出張に行けるってもんだ。

2月19日 (木)

もう日記書く気すら起きないよね。アハハ。
今日は防府に来てます。もう5回目です。でも防府天満宮にはいったことがありません。
いえいえ、そういえば小学校の頃に一回行った事がありました。
でも、この年になって別に「学業成就」を器癌・・あらら、パソコンも私ももう病気詰ですね。あらためて・・祈願したところで、別に今から学校の試験を受けるわけでもなし、行くとすれば前ここに書いたインターナショナルな人になる為にイーオンとかに通うくらいのもんでしょう。
そんなもの成就するには努力しかありません。菅原道真公もびっくりでしょうがそれが現実です。
適当に努力して我慢してこそ栄光がつかめます。
まだ遅入試、2次試験など残している学生諸君。がんばってください。
私のようにならないように私が祈願しておきます。
間違っても「広之進成就」には成らないようにとのエールをもって締めの言葉にしたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。パチパチパチ。

2月20日 (金)

今日も今日とて広之進 防府の地へと来たりける

「おお。なんだか文学的な書き出し!」と勘違いをしながら、快調に日記を書き進めようという目論見もわずか2行目で頓挫する事となりました昨今、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私は精神的にも既に臨界点を突破し、今は南海の真っ只中でウェイクボード上に寝そべっているような心地よさを感じながら、「やはりそれは所詮まやかしであり、実際問題なにも解決していない」と言う現実に目を背けながら日常の波に揺られております。
日常では打ち合わせや会議など日々論争の種が転がっております。こいうものはあらゆる場面、状況、人物によって繰り返し行われているものではありますが大抵の場合論争に発展します。そもそも論争に発展さすまいとした場合に、最低限必要な事は「両者決定権を有している」と言う点であります。決定権の無い者同士がいくら話し会いを行った所で、それはただの情報交換に毛が生えたくらいのものであり、最終的には必ず決定できない事項が溜まりに溜まった時点で行き詰まって話が終わるか論争が巻き起こります。その後必ずと言っていいほど言った言わないの水掛け論に発展し、それに留まらず最終的には決定権を持っている者同士の論争を生じさせる事は九分九厘間違いありません。
そんな私の今の気分を川柳で表して文学的だと勘違いしている日記を閉じたいと思います。

「論争をしてもせんでも蚊帳の外」

2月21日 (土)

今日は今日とて広之進 福山市へと来たりける

「おお。なんだか文学的な書き出し!」と勘違いを・・と昨日の日記をコピー&ペーストで済ませてやろうと言う目論見もわずか2行で頓挫した昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は土曜日ですが仕事で出張です。
文学的だと勘違いしている書き出しとはいえ、今日の私の能は頗る理系であり、文系の能を使用する「文章作成」という作業は今日の私的にはあまり好むところではありません。しかし、日記である以上、文系だろうが理系だろうが中性子であろうが、ブラックホールだろうが、超新星爆発だろうが、宇宙大膨張だろうが、ラージノウズグレイだろうが、キャトルミューティレーションだろうが、この白紙面を字で埋めるという作業は行わなくてはなりません。とりあえず、理系らしいと勘違いしている宇宙単語を思いつくままちりばめてみました。最近勘違いが止まりません。そういえば昔「ロマンティックが止まらない」というC-C-Bの歌がありましたね。みなさん覚えていますか?そうですか。そんな事はどうでもいいですか。おじさんはさみしいぞ。
これでは収集がつかないので、そろそろ締めたいと思ってはいるのですが今日は頭が理系である以上理系の事しか書けない故、理系で思いつく事を最後に書いて締めとしたいと思います。

※測地線方程式
( d2xμ/dτ2 ) + Γμνλ( dxν/dτ )・( dxλ/dτ ) = 0
※重力場方程式
Gμν = (8πG/c4) Tμν

多分書いた自分が一番わかってない。

2月22日 (日)

かの石川啄木はこう言った。

「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」

この詩は最近何かと持ち出されることが多い。この詩を流用している方々の大半はマイナスイメージでこの詩を捉えて使用している。しかし本当にそうなのだろうか。最近それがやけに気にかかる。
確かに啄木が「一握の砂」を書いた明治40年代日露戦争後の経済不況で株は大暴落、倒産が相次ぎ長期不況になったといい、現代の大不況もこの時代に酷似していると唱える学者もいる。それ故にこの詩が現代の社会で取り立たされる機会が多くなっているのは事実だ。しかし、啄木は本当にそのようなネガティブな精神でこの詩を書いたのだろうか。拓木の破天荒振りを見ているとなかなか言い切る事は難しいが私の見解はこうである。例えば、貧困の極地に追い込まれた人が、この詩のような事を考えたとする。その場合、「働いても働いても生活が楽にならないなぁ。」で終わりだと思うのだ。あえて自分の手を見る事はあるまい。ではなぜ手を見たか。手というものは、人間にとって生活・労働の要とも言える部分である。手を見る事によって、啄木は自分自身を見直していたのではないか。「まだ何かできる事があるのではないか。」と。だとすれば、非情にポジティブな詩である。いかなる場合においても常に前向きに考えることの重要さを説いているのではないかと最近の私は感じているのである。
読者諸氏も次にこの詩と対面することがあれば、こう改編してほしい。

「働けど働けど我が暮らし楽にならざるものの、じっと手を見る暇もなし」

ちょっとだけ楽な気分になるかもよ?

2月23日 (月)

明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日の自身が思い煩うであろう。一日の苦労はその日一日だけで十分である。

マタイの福音書6章から引用してみた。また、アラブの諺にはこう言ったものもある。

明日できる事は、今日するな

昔私がこれらの教えを知ったときには「明日の事は明日の自分が考えるからほっとけよってことか?聖人マタイともあろうお方がなんて暴言を吐き散らすのか!」と思っては見たものの、自分に当てはめてみた所確かに明日の事を考えても結論はでない。ただストレスが溜まるだけだ。よほどスケジュールが切迫し「明日の昼までに仕様を固めないと大変な事になる」場合においては、明日の自分が極限まで煩い、上役に「昨日何やってたんだ?チミは。」等言われる事は十中八九間違いないのでそれはやるとしても、それ以外の事を事前に悩んでいても確かにしょうがないじゃないかとこの教えを鵜呑みにした。
その結果、今日の自分は昨日の自分のおかげで煩いまくり、多分明日の自分も今日の自分のせいで煩いまくる事だろう。しかも、1日の煩い量は、私ができる煩い処理可能量のキャパシティを超えている為、1日若干煩いづつ計上負債として溜まっていき、今から煩い決算が恐ろしいほどに膨れあがっている。
賢明な皆様はもうお気づきだろうが、一応この教えに足らない部分を捕捉しておく。

日々自分の出来る事を全うしているのであれば明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日の自身が思い煩うであろう。一日の苦労はその日一日だけで十分である。

明日できる事は今日するな。今日は今日すべき事のみを全うしろ

甘い言葉と暗い夜道にはくれぐれも気をつけましょう・・・・

2月24日 (火)

なんだかこの日記も時事ネタが増えて、堅苦しい話題もそれに比例して多くなり、それに無理して笑いを入れようとして姑息な手法を使うようになってきた。言わば「爆笑問題」的になってきたので、ちょっと路線を変えてみたいなぁと思っている。別に「爆笑問題」が嫌いだと言うわけではない。好きではないのである。どないやねん。

そういえば、吉野家は・・・あ。時事ネタだ。却下。
そういえば、小泉今日子が・・・あ。これもだ。却下。
そういえば、今日は「赤口」である。赤口といえば・・・あ。堅苦しくなりそう。却下。
なんとなれば、・・・書き出しが堅苦しい。却下。

うが〜!日記に書くことないやんか〜!
どうやら路線変更より先に、私生活の改善の方が優先改善事項のようである。

2月25日 (水)

昨日路線変更を公言した上に、堅苦しい事も書かないなどと自らを縛った結果、今日書く事が無くなった。
《終》

で終わろう物なら明日からカウンターがタダの1つも回らないという惨劇を招きそうなので、とりあえず何か書いてみたい。愚痴でも。うそうそ。本気にすんじゃないヨォ。
最近は昔と違っていろいろな日記サイトなんかを見て回るようになった。そこで気づいた事があるのだが、みんな日記なのに毎日更新してない。あるところでは、日記と言いながらほぼ月1回でしか更新されてない、言わば「月記」の所すらある。私が月一回会社に提出している進捗報告書のような物ではないか。それはそれで意味はありそうだが。
しかし、前述のサイトはあまり更新されないとは言え、内容はかなり密で面白いものが多い。なぜそのペースで毎日更新する事が出来ないのかというのはサイト管理者に聞くよりは私自身がよく知っている愚問である。「書ける日と書けない日があるから」だ。実生活のスケジュールやネタの問題、精神的な問題、脳の具合など毎日更新し、且つ、面白い事を書きつづけるのはかなり困難な事である。それができれば、東スポの記者にでもなった方がよっぽど有益な事だ。まさに適材適所だと言えよう。
とにかく、前述のサイトに質や内容では到底適う事はありえないので、うちは1日1文を書きつづける事で対向してみたいと思う。
「争う事が嫌い」と言えば聞こえはいいが、「正攻法で争っても到底勝てる気がしない」広之進がお伝えしました。
アデュー!・・・あ、いやいや、 オールヴォワール!

2月26日 (木)

とんでもない現場を目撃したので取り急ぎ報告したい。
今日の午前道を歩いていると、突然軍服を身にまとった千余名もいようかと言う軍隊が複数の建物に突入していった。私は建物内部へ足を踏み入れていないので、中の様子はよくわからなかったのだが、野次馬情報によると、3名が殺害されたと言う事だった。
当初は4人死亡との情報が舞い込んできたが、どうやら「オカダ」と言う方は助かったようだ。良かった良かった。
その後軍隊は一帯を占拠し、日本の国家改造論をぶち上げ、それを政府に要求しつづけていた。後でわかったのだが、殺害されたのは斎藤実内大臣・渡辺錠太郎教育総監・高橋是清蔵相だったようだ。近々暴動は鎮圧はされるだろうが軍部の勢力は増す一方であろう。とんでもない世の中になったものだ。
ということで、今日の日記は、1936年2月26日の日記であり、2004年は書くことが無かったので見送りとした。悪しからずご了承ください。

2月27日 (金)

元オウム真理教の麻原が死刑判決を受けた。ここに書くまでもなく皆さんご存知のことと思われる。
一連の報道を一通り目を通して見たのだが、「死刑判決」に対し、被害者の方々、また関係者の方々は「よかった」、「うれしい」、「当然」等種々様々な意見を述べている場面報道されている。
なんだかいたたまれない気分になるのは私だけなのだろうか。だからと言って麻原を擁護する気など毛頭ない。しかし、他人を合法的にとは言え殺す事に対しあれだけの笑みを浮かべてコメントできる方々を見るといたたまれない気分になるのだ。これは一種の報復であり、突き詰めていけば戦争の心理と変らないような気がする。
当然先に無差別大量殺人を行った麻原以下信者の行動は間違っても肯定できる物ではないし、死刑は相応の判決だとは思うのだが、どうしてもしっくり来ない。
ハムラビ法典が、イラク混沌の世で紛失したのを境に、「目には目を歯には歯を」と言う心理は葬り去った方がいいのではないだろうか。結局同道めぐりで自分に跳ね返ってくるような気がしてしょうがないのだ。
上手くいえないがそういうことである。だからと言って他案は思いつかないが。

2月28日 (土)

明日は雨が降るそうなので、今日坊を連れて遊びに行く事にした。
最近のマイブームは、広島市内からアクセスできる公園などを一通り回ってみる事である。
現時点で10数箇所は回っているのだが、各々特色があり面白い。
そのうちまとめてこのサイトにでもアップしてみようかと思っている所である。
広島在住の子連れの方は必見の情報にしたいと思うので、期待せずにお待ちいただけたら幸いだ。
今日行った公園は、スポーツ施設と一緒になっているので、坊には早すぎた。 残念至極である。

2月29日 (日)

ママの自転車がパンクしたので修理することにした。
パンクの原因は恐らく、空気圧が低下している所に私の体重がかかった事による、所謂圧死だろうと思われるが定かではない。
しかし、パンク修理など何年ぶりに行っただろうか。昔独身の頃には自転車屋に持っていく事の方が少なかった。今はといえば器具も時間も無い為なかなか行う機会が少ないのだが、今回はちょっとがんばってみた。
とはいえ、道具はなにもないため、道具のパッチシールとゴムのりのみ購入し、後は、スプーン2本、軽石、ジュースの空き瓶、坊の砂場セットのバケツ、その辺に落ちていた木、100円ショップで購入した携帯空気入れ(スプレータイプ)で代用し、パンク修理を行った。結果としては上手くいったのだが、自転車という文明の産物を至って原始的に修理する事になんだか時代に取り残されているような寂しさを感じた一幕であった。

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